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松永太死刑囚と緒方純子の生い立ち 子供のその後は?千原ジュニアが関係?北九州連続監殺人事件 [テレビ]

6月9日放送の金曜プレミアムは、「追跡!平成オンナの大事件」と題して、2002年3月に北九州市小倉で発覚した「北九州連続監殺人事件」を特集する。


この事件は、主犯である松永太死刑囚が自らの手を汚さずに、巧みな話術で被害者たちを洗脳して7人の命を奪った事件。


しかも被害者の中には幼い子供2人が含まれ、日本の犯罪史に残る残虐な手口は当時メディアが報道を控えたほど。


事件の結末は、松永太死刑囚が主犯となり、内縁の妻・緒方純子被告と共に被害者を監禁していたが、2002年3月6日、17歳の少女が監禁されていたマンションを脱出して、祖父母宅へ助けを求めたことで発覚した。


とにかく松永死刑囚のマインドコントロール技術の凄さは、裁判所も認めるほど。千原ジュニアが松永死刑囚の裁判を傍聴した際、そのトーク力に驚かされたという。


今回は、日本では珍しいサイコパスな松永太死刑囚と共犯者の緒方純子被告の生い立ちなどについてまとめてみた。



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松永太死刑囚の生い立ち



「北九州連続監殺人事件」の犯人、松永太死刑囚の生い立ちだが、松永死刑囚は1961年4月に北九州市小倉北区の畳屋で生まれる。


7歳の時、畳屋を経営していた父親が、実父の布団販売業を継ぐため一家で福岡県柳川市へ引っ越し。  


小学校の時は、ほとんど勉強をしなかったにもかかわらず科目がオール5で、学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に就いたこともあった。


中学校へ入ると、1年の時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝。部活はバレー部でキャプテンを務めた。


高校は福岡県立三潴(みずま)高へ進学。だが、2年の時に、家出少女を拾って自宅へ入れたことがバレ、不純異性交遊により退学。


三潴高校を退学になった後、私立筑邦高校(現久留米学園高校)へ編入、そして卒業。


高校卒業後は父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚し翌年には子供をもうける。


松永死刑囚はこの年に布団販売業の会社を設立。だが実態は詐欺まがいの布団販売。その他に、ヤミ金融を営んでいた。


3年後の25歳の時には、布団販売業ワールド設立。1992年の時に詐欺や恐喝などを重ねた挙句、経営が破綻して石川県へ逃亡。


この年に妻と離婚し、その後に内妻の緒方純子被告と2男をもうける。(前妻との子供も男)


松永死刑囚の性格だが、裏の顔は金銭欲が強く、冷酷で残虐。支配欲が強く、支配した人間は奴隷以下の待遇にしても心が痛まない。そのための心理学を独学していた。


「相手が気が小さいとみると大声を張り上げ威嚇する。」「肩書きの高い人でも自由にコントロールしていた。」
「典型的な嘘つきだった。」


一方、表の顔は「体格が小さく、チンピラなどに脅されると震える小心者。」これまで松永死刑囚と付き合ってきた女性は「悪いことをするような人ではなかった。紳士的で会話上手で信頼できる誠実な人」と松永死刑囚の印象を語っている。

緒方純子の生い立ち



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緒方純子被告の生い立ちは、1962年2月、福岡県久留米市生まれ。緒方被告の実家は土地をかなり所有する裕福な農家で、地元ではかなり由緒ある家柄であった。


高校は松永死刑囚と同じ福岡県立三潴(みずま)高だったが、松永死刑囚が途中で退学処分になったため、ほとんど面識がなかったという。


卒業後は県内の短大へ進学し、卒業してから久留米市で幼稚園の先生になった。


そんな緒方被告の元に松永死刑囚から突然電話がかかってきたのは幼稚園の先生になって半年ほど経った頃のことだった。


当時、松永死刑囚は卒業アルバムを見て片っ端から電話を掛けていたといい、緒方被告とは数回会う内に交際が始まったという。


そして後に緒方被告は、松永死刑囚と内縁関係となり「ワールド」で働くことになる。しかしこの頃から、松永死刑囚の激しい暴力にさらされ、肉体的、精神的に追い詰められ、 松永の奴隷と化していった。



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松永太死刑囚と緒方純子の子供のその後



松永太死刑囚には、前妻との間に子供が1人、緒方純子被告との間に2人の子供がいる。


松永死刑囚らが逮捕されたとき小倉北区泉台一丁目のアパートで、男児4人が保護されたが、4人のうち2人は実子、もう2人は預かっていた他人の子供だった。


預かっていた子供2人はその後、北九州市児童相談所に保護され、松永死刑囚と緒方被告の子供2人もその後、北九州市内の児童保護施設で保護。


逮捕時、松永死刑囚の長男は小学4年生、次男が5歳だったが、長男は学校へ行っていなかったため3年生から就学。現在、名前を石丸の姓を名乗って生活しているそうだが、詳細は不明。


また、監禁されていたマンションから脱出して、命からがら逃げ出した17歳の少女も児童相談所に預けられた。


その後は「美容関係の専門学校へ行きたい。」「18歳になったら車の免許をとりたい。」「ワープロの勉強をはじめたい。」など、目標を掲げていたといい、26歳の時には、機械工場で働きながら一人暮らししていることが分かっている。

松永太死刑囚の裁判を千原ジュニアが傍聴



金のために緒方純子被告の家族まで巻き込んだ松永太死刑囚は、稀に見る「サイコパス」といえる。


事件の詳細は「消された一家」という本に書いてあるのだが、千原ジュニアもこの本を読んだと語っているらしく、松永死刑囚の裁判を傍聴したことを「やりすぎコージー」で話していたという。


逮捕された当初、松永死刑囚と緒方被告は完全黙秘していたが、起訴されてから緒方被告が自供。2005年3月、福岡地裁小倉支部で開かれた判決公判では両名に死刑が言い渡された。


しかし双方は判決が不服だとしてその後に控訴。2007年1月から福岡高裁で控訴審がスタートし、同年9月に言い渡された判決は、松永死刑囚が控訴棄却され死刑。緒方被告が原審破棄の無期懲役。


検察は緒方被告の無期懲役を不服として上告。だがこれは棄却され、無期懲役が確定。松永死刑囚は控訴審判決を不服として上告していたが、2011年12月12日に棄却され、死刑が確定した。


現在の松永死刑囚だが、まだ刑は執行されていない。



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